日本の教育に未来があるのか、疑問を感じてしまう 〜パウロ・フレイレ「被抑圧者の教育学」から考える

親としての「違和感」は、問いのはじまり
高1の息子の進路について考える中で、最近、どうしても引っかかるものがあります。
日本の高校も大学も、どこか画一的で「これで本当にいいの?」と思ってしまうんです。
息子は真面目なタイプですが、正直、学校での学びが彼の将来につながっているようには思えません。それでも周りは受験一辺倒で…

私自身が「この教育で本当に大丈夫なのか」と不安になっています
ヒント:教育は中立じゃない?フレイレが説いた「学びの本質」コンサルタントの視点
その疑問、とても誠実で大切な視点です。「教育は未来をつくるもの」という本質に立ち返ったとき、日本の教育のあり方にモヤモヤを感じるのは当然かもしれませんね。
銀行型教育とは?
じつは、南米の教育学者パウロ・フレイレは、こうした「従順さを育てる教育」を“銀行型教育”と呼んで批判しました。先生が「知識」を“預ける”ように与え、生徒は“受け取るだけ”というあり方ですね。
でも、本来の教育とは、子ども自身が問いを持ち、世界と関わりながら学びをつくっていく“対話”のプロセスであるべきだと、彼は言います。
対話を通じて“自分の考え”を育てる
もし、あなたが感じている違和感がその「対話の欠如」にあるのだとしたら、それはお子さんと一緒に「問いを育てるチャンス」かもしれません。



“どんな学びが、どんな未来をつくるのか”――親として一緒に問い続けることが、何よりのギフトになります
パウロ・フレイレの『被抑圧者の教育学』とは?
パウロ・フレイレ(1921年-1997年、ブラジル)は、読み書きができない農民に教育を届けた、南米の教育者。でもそのやり方はただの「授業」ではありませんでした。
彼は「今、自分が生きている現実」を見つめ、対話することで、自ら考える力を取り戻す教育を実践したんです。
フレイレは「教育は中立ではない」と言います。現実に対して“気づき”を与えるものこそ、本当の学び。だからこそ、今の教育に疑問を感じること自体が、すでに学びの入り口なんです。
チェックシート:あなたが感じている“違和感”
- □ 日本の教育にどこか“限界”を感じている
- □ 「進学=正解」という構図に違和感がある
- □ 子どもにはもっと“広い世界”を知ってほしいと感じている



ひとつでも当てはまれば、あなたも“対話型の教育”を求めているのかもしれません。
生活での実践:親子で「問い」を育てるアイデア
- 「何を学ぶか」よりも「何のために学ぶか」を、お子さんと一緒に考えてみる
- 日常の会話に「あなたはどう思う?」「なんでそう感じたの?」という問いを増やしてみるだけで、対話の土壌が育つ
- 一緒に本を読む、ドキュメンタリーを観るなど“問いの種”を共有するのも有効
「一緒に考えていいんだ」と思えた
進路を「決めなきゃ」と思い詰めていたけれど、「問いを育てる」っていう考え方を知って、少し肩の力が抜けました。息子と一緒に、「なぜ学ぶのか」「どんな未来を望むのか」話すようにしてみたんです。



すぐ答えは出ないけれど、“一緒に考えていいんだ”と思えるだけで、すごく気持ちが軽くなりました