リベラルアーツ入門中学・高校

【リベラルアーツ02】世界をしばる「紐」を発見し解き放つ…リベラルアーツの「批判的思考」

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リベラルアーツ教育で得られる思考法

前回は、リベラルアーツ教育の根幹にある哲学を紹介し、リベラルアーツ教育とは「自分」と「世界」の関係性の発見、そしてふたつの可能性を現実にする学びである、と書きました。

第2回となる今回は、リベラルアーツ教育で得られる思考法と、実際の授業の様子などを紹介していきます。

*  *  *

リベラルアーツ教育を説明する際、かならずと言っていいほどセットにして語られるのが「批判的思考」。「物事の前提を疑う」「さまざまな視点を持つ」などと紹介される批判的思考ですが、これだけでは抽象的でわかりにくいものです。

批判的思考とは何なのでしょう?

そもそも、なぜそれが必要とされるのでしょう?

そして、リベラルアーツ教育がどのように批判的思考を鍛えるのでしょうか?

これらの疑問に答えるために、まず、ある島の話をしましょう。

細長い島と幸せな人びと

太平洋の片隅に、細長い島がありました。

島には規則正しく建物が並び、道路や駅にはゴミひとつありません。言い争いをせず、調和と健康を大切に、人びとは狭い土地を有効活用して暮らしていました。風土も豊かで食べ物も美味しく、まるでスターバックスコーヒーの店員がくれる笑顔のように文句のつけようのない島でした。

ある日、浜辺にひとりの漂流者が流れ着きました。

海の向こう側からやってきたこの人物は、何日ぶりかの陸地に安堵の涙を浮かべ、そして、この島の素晴らしさに驚嘆したのでした。文明的に遅れた、争いの絶えない場所からやってきた漂流者でしたが、島民にも歓迎されて、数日間は寝て食べて満ち足りた日々が続きました。

しかし、回復して島を歩き回るうちに、漂流者は「何かがおかしい」と感じるようになりました。すべてが完ぺきなはずの島なのに、どこかとても不自然なところがあるのです。

漂流者は、注意深く周囲を見渡しながら観察を続けました。そして、よくよく目を凝らしてみると、島の人びとと建物に、目に見えないくらい細い「紐」が付いていることに気がつきました。この紐は島の中央にある白い建物につながっており、そこから操作されることで、この島は動いていたのでした。

そう、漂流者が辿り着いたこの島は、噂に聞いていたカラクリ仕掛けの島でした。幸せに見えた島民とキレイな道路や建物は、紐で操られた芝居だったのです。

©︎ Daminga
©︎ Daminga

「紐」の存在を知り、解いていくこと

この「カラクリ仕掛けの島」の寓話は、「批判的思考」を理解するためのいい題材となります。

前回説明したように、物や人びと、出来事が緩くつながったひとつの固まりが「世界」です。カラクリ仕掛けの島とまではいかずとも、人間が集まる場所にはかならず紐があり、この紐が世界の部分部分をつなげています。この紐は、信条や常識、権力といった、人びとや物事の関係に影響している概念や慣習を含みます。

たとえば、学校では生徒と教師という役割があり、生徒は教師に敬意をもって接するべきだという暗黙の了解があります。どの地域であっても、学校という組織はこの紐でつながり、生徒と教師の関係は作られています(もちろん例外はありますが)。

学校という身近な例からもわかるように、大きな視点では「資本主義」という経済構造に至るまで、すべての人間活動は「紐」が結んでいます。しかし、この紐は複雑に絡まって団子のようになっており、通常はその存在は可視化されていません。

世の中には無数の紐がありますが、紐の見えない世界はまるでカラクリ仕掛けの島のようです。世界の「つながり」が見えていないと、知らず知らずのうちに紐の奴隷となってしまいます。

学校の例はわかりやすいですが、学校と同じくらい世の中の常識となっている資本主義の場合はどうでしょうか。私たちは資本主義という紐のことをどれだけ知っているでしょうか?

紐のない世界では生きられない私たちは(そもそも紐が世界を可能にするため)、紐から逃れられないとしても、その存在としくみを知る必要があります。

この紐のつながりをさまざまな見方で捉えて、紐を解いていくプロセスが「批判的思考」です。リベラルアーツ教育では、経済学や心理学、物理学などを学び、世界をつないでいるさまざまな紐を学問的に解いていきます。

©︎Todd Bumgardner
©︎Todd Bumgardner

批判的思考は、さまざまな時代的、社会的、学問的な観点を併用して、紐が時代や共同体によって移り変わるものであるのを理解する思考法です。この理解が、紐から自由になる、紐を利用する選択肢を私たちに与えるのです。

さまざまな時代的、社会的、学問的な観点を併用して、紐が時代や共同体によって移り変わるものであるのを理解します。この理解が、紐から自由になる、紐を利用する選択肢を私たちに与えるのです。

批判的思考を身につける方法

リベラルアーツ教育では、批判的思考を「論文の作成」と「議論への参加」を通して身につけていきます。

論文の作成は、課題のテキストとじっくり対話する機会を与えます。ここで用いられるテキストは「古典」と呼ばれ、数時間で読める新書のようなものとは異なります。たとえば、マキャベリの『君主論』やトーマス・クーンの『科学革命の構造』などの本です。

古典のテキストは世の中のさまざまな紐を明らかにする力を持ちますが、そのぶん、この複層的な構造を理解するのには時間と労力がかかります。論文課題の量も多いので、リベラルアーツ大学の学生は課題の本と格闘して、昼夜を問わずパソコンのキーボードを叩いています。

論文が評価されるポイントは、理解度の高さに加え、相手に伝わるように「論理性」をもって書かれているかどうかです。

自分の主張を打ち立て、前提とされている見方や常識を示し、論拠をもって主張を展開する。この論理性は、ある意味、絡まりあった紐の団子をほぐすことができる「カギ」のようなものです。

いかに煩雑に見える出来事や考え方に対してでも、高い論理性を用いて、誰の目にも明らかな紐を見い出し、伝える。論理性は、批判的思考をサポートする強力な道具となります。

世界や価値観を照らす「多様性」の力

「議論への積極的な参加」では、論理性に加えて「多様性」という道具を用いて批判的思考を支えます。論理性がカギだとすれば、多様性はさまざまな世界や価値観を照らす「懐中電灯」の役割を担います。

多様性は、心理学や経済学などの学問の専門性の違いに加えて、人種や経済状況、宗教、ジェンダーなど、個人が生まれ育った環境や条件によって「見ることのできない」紐を照らします。

私たち個人の視点は生きる環境から規定されるので、かならずどこかに盲点が生れます。そのため、リベラルアーツカレッジでは学生や教授の多様性を確保し、その価値を認めることでこの盲点を克服しようとします。多様な紐に縛られている人たちが集まるからこそ、自分や相手の紐の存在に意識的になれるのです。

©︎Vassar College
©︎Vassar College

たとえば、私の学生時代の専攻は哲学でしたが、4年生のときに履修した専門性の高い哲学の授業には、生物学から政治学、演劇専攻まで広い分野の学生が集っていました。

「意識・身体・世界」という名前の授業でしたが、人間の認知と言語の関連からはじまり、私たちが「知る」ことはいかにして可能かという非常に哲学的を、哲学専攻の学生だけでは出てこないような視点で議論を交わしました。

学生の人数も10人程度だったので、教授が顔と名前を覚え、個人的な付き合いができる規模でした。このように授業が少人数であることも、リベラルアーツカレッジの特徴です。議論の質を高く保ち、教授が論文の課題をていねいに添削できるため、授業が少人数であることは重要な要素です。

しかし、このような多様性が十分に機能するためには論理性が必要です。なぜなら、論理性という万人が共有する道具が土台になくては、相手や自分に見えていない紐の存在を伝えるのはとても難しいからです。

上のような授業が実現するのも、リベラルアーツ教育が鍛える「批判的思考」に欠かせない「論文の作成」と「議論への参加」を繰り返すことにより、可能になるのだと言えるかもしれません。

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今回も若干抽象的な話となってしまいましたが、次回はいよいよリベラルアーツカレッジを卒業した日本人へのインタビューも含め、この教育がどのように現実の世界につながっていくかを具体的に話したいと思います。

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※青木さんが主宰する「Liberal Arts for All」のリベラルアーツ講座が、2017年10月28日(土)に「自由大学」(東京・港区)にて開催されます。詳しくは、こちらの記事で確認を。

青木 光太郎

「Liberal Arts for All」主宰。翻訳家、ライター。千葉県旭市出身。中学高校時代は陸上競技の世界に浸かり、勉強に縁のない場所で生きる。高校卒業後に入学した千葉大学で、日本の大学教育、教授、学生に不満を覚える。資格をとれる学部に移ろうと、医学部再受験をするために予備校に通い始め、そこで勉強する楽しさを知る。興味が多岐にわたっていたため、このまま医者になるのはどうなのだろうかと考えはじめる。夏に開催されていたアメリカの大学合同説明会に参加し、リベラルアーツ教育について知る。そこから3ヵ月間猛勉強し、最終的にウェズリアン大学にフリーマン奨学生として合格。ウェズリアン大学では哲学を専攻し、芸術、歴史、文学、社会学などの授業を幅広く履修。卒業後は米系の投資運用会社に就職。4ヵ月で投資運用会社を退職し、その後に出版社やバーの皿洗いを経て、現在は翻訳を本業とする。

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