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中高生レポート㉝ | ヤンゴンかるたプロジェクト

野中優那さん 国際基督教大学高等学校2年生。父親の仕事の転勤で、ベトナムで2年間、ミャンマーで2年間を過ごしました。趣味は読書。明治の文豪が好きで、週末は縁の地を巡ったりしています。電車で日本をめぐる旅をしたいです

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クーデターですべてが変わったミャンマー

2021年2月1日、ミャンマーでクーデターが起きた日。私は、家族と一緒にミャンマーの最大都市ヤンゴンに住んでいました。

聞いたことはあるけれど、いったいどんなことなのかわからない。それが「クーデター」という言葉でした。

選挙に大差で負けた国軍が、NLD(国民民主連盟)の党首であるアウンサンスーチー氏と幹部を拘束し政権を奪ったとTwitterで知りました。 翌日から若者の抗議活動が始まりました。

コロナ禍、厳しい外出制限により人が減っていた街には、あっという間に人が押し寄せました。彼らは歌を歌ったり、音楽を奏でたり、ダンスを踊ったりして、平和を訴えました。

SNSを活用し新時代を切望するその姿に、私はミャンマーという国のエネルギーさえ感じました。

しかし、無抵抗な国民に対し、国軍は銃を向け、武力による弾圧を始めたのです。夜中になると電話、インターネットなどすべての通信手段が遮断されました。

その間にたくさんの人々が拘束され、ときには死体で戻ってくることもありました。夜中の凄惨な出来事が、翌朝FacebookやTwitterに次々と投稿されていく。

通信が遮断される間に何が起きるのかを考えると、夜が来るのが怖かったです。

帰国後の違和感を辿っていくと…

1日で、生活のすべてが変わる。信じられない出来事が実際に起こるということを、私はミャンマーのクーデターによって知りました。

そして国軍の弾圧がさらに厳しくなった3月。私は高校進学のために日本に帰国しました。

帰国して最初に感じたのは、違和感でした。入学した高校で「ミャンマー帰国」と自己紹介すると、クラスメイトから「いま内戦している国でしょ。危ない国から帰って来れてよかったね」と言われたのです。

その言葉に、「もう日本に帰国したから関係ない」と言われているような気がしました。

また、彼らはミャンマーがどこにあるのかも、何語が話されているのかにも関心がありませんでした。

まさにいま、私たちと同世代の若者が自由と未来を奪われているのに、みんな無関心なことに驚きました。

でも私自身、これまでウイグルやアフガニスタン、日本の相対貧困率の問題などに対し、同じように無関心だったと気付き、はっとしました。

「学び」に命のストーリーを吹き込みたい

私の知るミャンマーは、貧しいけれど、とても美しい国でした。

いまミャンマーで平和のために戦っている人たちは、私たちと同じように、家族とご飯を食べたり、学校で勉強をしたり、恋をしたり。そんな、当たり前の日常を生きてきた人たちです。

そして、突然その日常を奪われた人たちなのです。

彼らは、たとえ自分の命を失ったとしても、民主化を諦めません。なぜなら軍事政権を認めることは、夢も希望も失うことだから。

私たちは教科書で貧困や紛争を学んでいるはずなのに、なぜ世界で起きていることを、自分ごととして捉えられないのか。

それは、そこに生きる人々の顔や息遣いが見えないからだと思いました。

学びに、命のストーリーを吹き込みたい。そこで、ビルマ語を学ぶ学生とともに「かるたプロジェクト」を始めました。

「ヤンゴンかるたプロジェクト」は、13才から23才までの、いわゆるZ世代の活動です。

「ヤンゴンかるた」は穏やかなミャンマーの人々の暮らし、文化、歴史を伝えます。札の多くは、私と20才の兄、そして13才の弟で撮影した写真を使っています。

日本の伝統文化である「かるた」は、子どもから大人まで、あらゆる年代が気軽に楽しめます。

また、写真付きの特製ブックレットでは、かるたの札だけではわからない背景をさらに知ることができます。

異文化や多様性、SDGsや世界の問題に気づくきっかけにもなります。

たとえば「う」の札。「うまれかわる裏路地ヤンゴンウォール」。

この札を撮影した場所は、ヤンゴン中心街の裏路地です。

以前はゴミが山のように積み重ねられ、荒れた裏路地でした。しかし大量のゴミを廃棄しアーティストが壁に絵を描いたことで、美しい裏路地がよみがえりました。

「継続的にきれいに使いたい」と思わせる場所に。まさにSDGs

「かるた」でつながる活動の輪

現在は、かるたを通してミャンマーを知り、国際社会のなかで何ができるかについて考えるイベントを行なっています。

これまで、中学校高校、地域の公民館や国際交流施設、在日ミャンマー人の子どもの学習支援教室などでイベントを開催してきました。

4才から74才まで、世代の異なる参加者を対象にしたイベントをしたり、茨城、福島、ヤンゴン、遠く離れた3ヵ所の小学校をつないで、オンラインかるた大会をしたりしたこともあります。

イベント後に、「いつかミャンマーに行ってみたい」「日常を知ることで、現状が悲惨なことだとより理解できた」「ウクライナのニュースを見るたび、ミャンマーを思い出す」などの感想を聞くと、目の前のひとりに伝えることが未来を変える一歩だと感じます。

私が活動を通して得たのは、人とのつながりです。10人に声をかけて誰も聞いてくれなくても、100人に声をかければ、30人くらい興味を持ってくれる人に出会えます。Z世代の活動を応援する大人の存在にも気付かされました。

ミャンマーという国を通じて、10代から50代まで、日本人、在日ミャンマー人、ロヒンギャなど、世代と民族を超えてつながり、活動の輪を広げています。

まずは「知ること」「伝えること」

私たちには、現状を大きく変える力はないかもしれません。でも、まずは知ること、そして伝えることが大切だと思います。それが、ミャンマーを忘れ去られた地にしないことです。

今後はかるたにミャンマー語翻訳をつけ、日本語を勉強するミャンマー人の教材として使ってほしいです。

また、在日ミャンマーの子どもたちが母国を知るツールにならないか、と考えています。将来的には、日本の暮らし、風習、食文化などをミャンマー語で紹介する「日本かるた」を作っていきたいです。

5年後10年後、ヤンゴンかるたでミャンマーを知った日本の若者と、日本かるたで日本を知ったミャンマーの若者が交流し合う。そんな未来を思い描いています。

対立ではなく、信頼の花を咲かせよう

2022年2月、ロシアがウクライナに侵攻したことは、日本でも毎日のように報道されています。

日本政府は、ウクライナに防弾チョッキやヘルメットをはじめとした支援物資を送り、ウクライナの避難民の受け入れを始め、学生の受け入れを決めた大学もあります。

いっぽうで、ミャンマーのニュースが報道されることはほとんどありません。

報道が少なくなっても、人々の苦しみは続いています。国際社会のなかで、それぞれの思惑から、人の命までもが取捨選択されています。私たちは、誰もがその問題の当事者になり得る、と警告を受けているような気がします。

大人が始めた戦争で、奪われるのは子どもの未来です。

地球に生きる私たちの時間は、ほんの一瞬です。この世に生命が与えられたことは奇跡だと感じます。

ちっぽけな私たちが、悩んだり、立ち止まったり、対立して違う方向に向かっていると思っていても、地球上では、みんな等しく同じ方向に向かって進んでいます。

私たちは紛争という火種を残すのではなく、この地球上に、平和や信頼の優しく美しい花を咲かせていくべきではないでしょうか。

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