京都府立洛北高等学校から、マレーシアのモナッシュ大学 情報学部 発展コンピューターサイエンス科へと進学した小島輝さん。
じつはもともと英語が大の苦手で、海外進学なんて「自分には遠い世界」だと感じていたそうです。

そんな小島さんが、どうやって夢を諦めず、今の道を切り拓いたのか。その歩みをたどります
海外進学を考えたきっかけ|ビートルズと先輩の講演
海外への興味の芽生えは、意外にも音楽から始まりました。
中学3年生のころ、ビートルズにはまったことが最初のきっかけ。翌年には、同じ公立高校から初めてミネルバ大学に進学した先輩の講演を聞き、「海外大学進学」という選択肢を知ったといいます。



その時はまだぼんやりした憧れでした。でも、“日本の外で学ぶ”という発想を持つようになった大きな転機でした
高校生活と挫折|コロナ禍で断たれた留学への道
高1では文科省「トビタテ!留学JAPAN」に応募。ところがコロナ禍で派遣が中止に。「やっぱり自分は海外に縁がないんじゃないか」と落ち込みますが、反骨心から再挑戦を誓います。
さらに高2の夏、サッカーで膝を大けがし長期離脱。


ぽっかり空いた時間で出会ったのが、スタンフォード大学のオンラインプログラム「Stanford e Japan」でした。
参加者の多くはIB校や帰国子女。初日から英語の格差に愕然とします。



模試では英語の点数は良かったので自信がありました。でも授業は聞き取れず、プライドは完全に打ち砕かれました。「自分はこの場にふさわしくない」とまで感じました
海外進学を本気で決めた理由|“場所が変われば評価が変わる”
プログラムでは英語力に苦しみながらも、好奇心や問いを持ち続ける姿勢が評価されました。



日本では“問題児”と見られていた自分が、アメリカ式教育の場では“探究心がある生徒”として認められた。この経験で、“自分の価値は環境次第で変わる”と実感しました
ここから本気で海外進学を目指す決意を固めます。
情報収集と出願準備|反骨心と仲間の存在
海外トップ大を目指して猛勉強を開始。成績優秀な友人の勉強法を真似し、評定は1.5ポイント上昇。TOEFLも98点まで伸ばしました。
課外活動にも力を入れ、
- 海外ニュースを翻訳・発信するメディアを立ち上げ
- 生徒会長として学校運営に関わり
- サッカーにも復帰し最後の大会まで戦い抜く
と幅広い挑戦を続けました。
しかし出願した米国大学10校は、すべて不合格。さらに担任からは「どうせ何もできないから国内に行け」と言われ、推薦状も拒否されました。それでも他の先生が代わりに書いてくれたことが大きな支えになったそうです。
勉強・スコア対策|“楽しさ”で続ける英語学
毎日の勉強でとくに意識したのは「楽しさを保つこと」。
- TOEFL必須2,000単語を徹底的に暗記
- 海外ドラマを字幕付き→字幕なしで視聴
- 通学や風呂でも常に英語音声を流す



日本で英語を続けるには楽しくないと無理。工夫したおかげでリスニング力が一気に伸びました
進学決定と今の想い|原点に戻りマレーシアへ
米国進学は叶わなかったものの、海外進学への情熱は消えませんでした。そんなときにマレーシア進学を決めた友人と出会い、視野が広がります。
「浪人して国内に進むより、まず海外に出たい。その原点の気持ちを思い出し、モナッシュ大学マレーシア校に進学を決めました」
現在は年間300万円程度の費用を奨学金やアルバイトで工面しつつ、プログラミング漬けの日々を送っています。チームプロジェクト形式の授業では各国から集まる仲間と切磋琢磨しています。


後輩たちへのメッセージ|“夢を追うときこそ、人は頑張れる”
人が最大限の力を出せるのは、自分の夢を追っているとき。海外進学に向けた努力が“自分はここまで頑張れるんだ”という自信につながっています。



進路で迷うなら、ぜひ“好き”な方を選んでみてください


現在は、大学生活と並行して仲間と教育事業も立ち上げ中。夢を諦めなかった経験が、現在のバイタリティの源泉になっています。
編集部より
小島さんの歩みは「苦手だから無理」ではなく、「苦手だからこそ挑戦できる」という逆転の物語でした。環境が変われば評価も変わる。その気づきと反骨心が、新しい進路を切り拓く力になったのです。
進路に迷うみなさんにとっても、“好きな方に一歩踏み出す勇気”がヒントになるはずです。
協力:NPO法人みんなの進路委員会(編集:グローバルエデュ)
進路に迷ったら、相談もできます。
海外進学ラボでは、海外進学を視野に入れた“戦略的な進路相談”を行っています。一人ひとりの価値観・タイミング・資源に応じて、今、何をすべきか・何を選ばないかを一緒に整理します。
ご相談・ご予約はこちらから → [進路進路相談室ページ]
自分の夢を追っているとき