イギリスボーディングスクール │寄宿学校で過ごした6年間
かわいい子にはジェントルマンの道……果たしてうちの息子がジェントルマンかどうかは別として、8才から14才の6年間をイギリスの「ボーディングスクール」(プレップ5年、パブリック1年)で過ごし、親の目から見ても大変独立心旺盛になった息子を誇らしく思っています。
私たち親子の体験記をシェアさせていただくことで、イギリスのパブリックスクールに興味を持ち、小さなころから親元を離れての紳士教育に少しでも興味を持っていただけたらと考え、この場をお借りしています。
英国ボーディングスクール │超難関の「ザ・ナイン」とは?
まずは、「イギリスのパブリックスクールってどんなところ?」というところからお話しさせていただきます。
ネットで検索すると、
[box type=”shadow” align=”” class=”” width=””]身分と境遇、地域の特殊性を排除して、公開された学校。13才~18才の子供を教育するイギリスの私立学校の中でもトップの10パーセントを構成するエリート校の名称。すべて私立学校でイギリス全土に数多くありますが、なかでも「ザ・ナイン The Nine」と呼ばれる9校がもっとも厳密な意味での名門パブリックスクールとみなされています
といった説明が出てきます。
<名門パブリック・スクール 9校>
- ウィンチェスター校 Winchester College(1382年、男子全寮制校)
- イートン校 Eton College(1440年創立、男子全寮制校)
- セント・ポールズ・スクール St Paul’s School(1509年、男子全寮制校)
- シュルーズベリー校 Shrewsbury school(1552年、男女共学寮制・通学制校)
- ウェストミンスター校 Westminster School(1560年、男女共学寮制・通学制校)
- マーチャント・テイラーズ・スクール Merchant Taylors’ School(1561年、男子通学制校)
- ラグビー校 Rugby School(1567年、男女共学寮制・通学制校)
- ハロウ校 Harrow School(1572年、男子全寮制校)
- チャーターハウス校 Charterhouse School(1611年、男女共学寮制・通学制校)
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日本人にも認知度が高く人気のある学校は、まずはロンドン西域にある「イートン校」。イギリス王室の王子たちも学び、最近では「博士と彼女のセオリー」主演で知られるエディ・レッドメインも通っていました。
2番目はロンドンにある「ハロウ校」で、チャーチルをはじめとるする英国の首相経験者をはじめ、「ミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密」で知られる俳優ベネディクト・カンバーバッチも卒業生です。
そして3番目は、息子が1年間を過ごした「ラグビー校」でしょうか。
ラグビー校は、イングランドの中部・ウォリックシャー州にある、スポーツのラグビー発祥の学校としても知られる、「不思議の国のアリス」の作者、ルイス・キャロルの出身校です。
また、英国のボーディングスクールのよき伝統として受け継がれる、寮を教育のためのコミュニティとして人間性を育む「ハウスシステム」も、ラグビー校が始めたことで知られています。
これらの3校はもちろんのこと、その他6校のパブリックスクールも入学することは非常に難しく、進学のための準備学校「プレップスクール(preparatory schoolの略)」(おもに8〜13才対象)に5~6年通い、そこから受験をするというケースが大半です。
イギリスボーディングスクール │なぜ、英国ボーディングスクールなのか
わが家が息子をパブリックスクールに通わせようと決めたのは、夫が海外の大学と日本の大学両方を経験しており、「日本の大学は勉強をしない学生が多いので息子には行かせたくない」という思いがあり、それならば小さなころから海外で育ててた方がいいのではないか、と考えたからです。
ただ、夫は駐在時以外は日本勤務なので、もっとも伝統があり数多くの留学生を受け入れてきた英国のボーディングスクールが選択肢として残りました。
このボーディングスクールでの生活を通じて、私たちが息子にもっとも与えたかったのは「人とのつながり=人脈」です。
事実、プレップ&パブリックスクールでの生活で、息子の最大の財産となったのは間違いなく「人間関係」です。同じ釜の飯を食った仲間として、互いのいい点も悪い点も知り尽くしており、昔は嫌っていた子も「いまでは個性として理解している」と話しているので、これからも長く続く友情だと思います。
そのうえで、英国伝統のリーダーシップ教育と紳士教育を受けた仲間たちは、イギリスやその他の国の中枢で活躍していくと予測でき、グローバルに活きてくるコネクションがすでにできていると言えます。
イギリスボーディングスクール │世界に名だたるセレブの子息が集う
息子が8才〜13才まで通っていた、オックスフォードに位置するプレップスクール「サマー・フィールズ・スクール Summer Fields School」は、歴史のあるパブリックスクール受験準備校ですが、「金持ち喧嘩せず」を体現したかのような穏やかな親のもと、のんびりすくすく育った素晴らしいお友達ばかりでした。
さまざまな国の貴族、世界的に有名な菓子や宝飾メーカーの跡継ぎ、大手IT企業の代表取締役、ハリウッドセレブなどの子息が集っており、普通のサラリーマンのわが家からすると恐れ多くもありましたが、とても親しみやすく、学校のお休みにはいろいろな友達の家に泊めていただきました。
日本に帰ってきた現在でも、息子はプレップ時代の友人たちと毎日チャットをし、「将来はどのような分野で起業をするか、その時の役割はどうするか」「そのためには誰がどの学部に進むべきか」などを話し合い、親密かつ未来につながる素晴らしい関係を構築しています。
イギリスボーディングスクール │日本では手に入らない教育
パブリックスクール、さらにプレップスクールはインターナショナルスクールではないので、イギリス人の割合が多いです(6~7割程度)。息子は8才で人種問題の洗礼を受けました。
歴史の時間に、クラスメイトから「世界大戦時におじい様が太平洋で参戦し、大けがをしたので日本人は嫌いだ」と言われ、あまり歴史に詳しくなかった息子は相当ショックを受けていました。
その後、先生のとりなしや子どもたち同士での話し合いを経て争いにならずにすみましたが、息子は世界史を学ぶ必要性を感じとったようで、プレップスクールの卒業時には詳細な世界史年表を作成し、学校から賞をいただきました。
東京で生まれた場合、幼稚園か小学校でお受験をし、そのままエスカレーター式で上がることが最良の道と考える家庭が多いように思います。
私自身その良さを最大限享受し、同じような家庭環境の仲間と12年間を平和に過ごし、ほとんどの同級生が難関私大に入学し…と、ほぼ外部の荒波にさらされずに生きてきました。「恵まれた人生だね」と言ってもらうことも多いのですが、そんな私でも小さなころにすでに人種問題を実世界として学んでいる息子のことを羨ましく思っています。
とても公平な考え方、広い視野、臨機応変さ、独立心など、日本国内だけで育った場合手に入れることが難しいものを、たくさん手に入れていると感じるからです。
イギリスボーディングスクール │どうすればパブリックスクールに入れるのか
ザ・ナインなどの超名門パブリックスクールに直接入るのは、交換留学生という形や何か特別な方法(数学オリンピックや音楽の国際大会で優勝するなど)以外は日本人にとって難しいと思いますが、プレップスクールからであれば「英語が完璧でなくてもいい」という学校もありますので、まずは8才からのプレップスクールを目指すのがいいと思います。
わが家の場合は、まず信頼できるガーディアン(留学先で保護者代わりとなる子どもの現地担当者。留学生はかならず設定しなければなりません)を見つけるところからはじめ、ガーディアン確定後は、志望校の選定や受験日のアレンジに関してすべてガーディアンの指導に従いました。
イートン、ハロウ、ラグビーの3校を将来の志望校にしていたので、その3校に強いプレップを探していただき、息子が7才のときに3校のプレップスクールを受験、3校とも合格したため、そのなかでもっとも伝統と格式のある「Summer Fields School」を選択しました。
プレップ入学後はすべて先生方の指導にお任せし、選択科目や進むべきパブリックスクールの選定も先生と息子が決めたことに親が協力する、というスタンスでした。
結論としては、「留学に一番大切なことはよきガーディアンに巡り合うこと」と断言します。
家族の病気に起因するホームシックで、せっかく入ったラグビーを1年で辞めて息子は戻ってまいりましたが、6年をかけて培った人脈と経験は生きています。
英語力は当然のことながら、将来の職業をすでに決めており、その仕事に就くにはどの大学に行くべきか、どの学部を選ぶべきかをいつも仲間と話しており、私が15才のときとは見える世界が違うのでしょう、と眩しく見つめる毎日です。
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次回は、「やっぱりパブリックスクールはすごかった」<入学するまで&学校生活編>で、パブリックスクールに入学するまでの具体的な過程や、息子の成長について紹介したいと思います。
文と写真:カオルコ
いわゆる典型的なお嬢様学校で12年間をまったく変わらない同級生と過ごし、「自分の人生って最高♪」と思っていた私ですが、海外育ちの夫と結婚したことから教育への考え方が180度変わってしまいました。そこに巻き込まれた(?)ひとり息子と私の珍道中はまだまだ継続中です