イギリスボーディングスクール │どのように準備を進めていくべきか
前編では、「パブリックスクールの概要や入学方法など」について紹介しましたが、後編では息子がいかにしてパブリックスクールに入学し、そこでの生活が私たち家族にどのような影響をもたらしたかなど、実際の体験から具体的な話をしていきます。
パブリックスクールへのスムースな入学方法として、「プレップスクール」でボーディングスクール生活やイギリスの習慣に慣れる必要があると考えた私たち夫婦は、伝統的な教育を行なっているプレップスクールをガーディアンに探してもらうことにしました。
息子は1才から夫の駐在先のロシアに暮らしており、幼稚園からブリティッシュスクールに通っていたので英語力は問題ありませんでした。
また、プレップスクールの入学時にはスポーツや音楽などの特技が高く評価されることもあり、ロシア人のピアニストに3才からピアノを習い、プレップスクール受験時にはモーツァルトのソナタが弾けるレベルに到達していました。
このように、志望するパブリックスクールに入学するには事前の準備をしっかりしておくことがとても大切です。息子がパブリックスクールに入学するまでの経緯をまとめると、下記のような時間軸となります。
- 2003年(0才)…息子が生まれる
- 2006年(3才)…夫の海外赴任先でブリティッシュ系の幼稚園に3年間通う。ロシア人ピアニストからピアノを習い始める
- 2009年(6才)…日本に帰国し、国内のインター(小学校)に入学。英国在住のガーディアンと共にパブリックスクール志望校3校へ入学希望申請し、リストに載せてもらう。さらに、プレップスクール3校の受験手続きなども進めてもらう
- 2010年(7才)…1月に渡英し、プレップスクール3校を受験
- 2012年(8才)…9月に第一志望のプレップ「Summer Fields School」に入学。パイプオルガンとフルートの勉強に励む
- 2017年(13才)…9月に音楽特待生としてパブリックスクール「ラグビー校」に入学
イギリスボーディングスクール │まずはプレップに進学すること
プレップ受験に向け、息子自身の教養を高めるのと同時進行でパブリックスクールへの入学希望申請を行います。
イートン校、ハロウ校、ラグビー校の3校が志望校でしたが、3校とも入学申請の年齢上限が6才〜9才に設定されています。
「13才からの学校なのに!?」と驚かれるかもしれませんが、パブリックスクールを目指す家庭の多くが子どもが誕生したらすぐに入学希望リストに載せてもらえるよう学校に申請を出すのが普通なので、わが家はギリギリでの申請となりました(入学手続きもすべてガーディアンと共に行います)。
無事パブリックスクールの入学希望者リストに名前を載せてもらい、プレップスクール受験の本番を迎えました。
息子が7才の1月に、本命である「サマー・フィールズ・スクール Summer Fields School」の試験があったので、その他2校のプレップスクールもまとめて受験できるようガーディアンにアレンジしてもらい、親子ふたりで真冬のイギリスに向かいました。
ホテル住まいで楽しく暮らしながらも、まとめて3校を受けたので、最後に受けた本命のサマー・フィールズの試験中に疲れきった息子が盛大に鼻血を出し少々騒ぎになってしまいましたが、無事合格できました。
イギリスボーディングスクール │音楽に打ち込んだ5年間
サマー・フィールズで驚いたのは、まず同級生の保護者の「これぞ世界のセレブリティ!」という雰囲気でした。
学校に来るのにふさわしい服装であるにもかかわらず、「わー、すごくいいものを着てらっしゃるー。そして地味だけどあんな大きさのダイヤモンド、見たことない…」とか「パパたちが集まってtax havenの話してる〜」、そして「あの子のお父さんのボディガード(?)が銃みたいなもの持ってる!」など、あまり物事に動じない私もキョロキョロおのぼりさん状態でした。
そんな興奮状態にあった私ですが、校長先生(summer fields→イートン校のコテコテ英国紳士)や優しい寮父寮母ご夫婦にお会いして、「この環境なら大丈夫!息子を預けられる」と安心しました。
息子は寮生活の意味がわかっていなかったようで、「マミーと離れて暮らすなんて聞いてない!!」としばらく泣いて電話をしてきましたが、それはうちの子だけではないようで、学校の電話ボックスの前(スマホやPCは休日以外は先生が保管します)に1年生の長蛇の列ができて全員大泣き、という期間が2週間ほど続いたようです。
ホームシックがひと段落すると、勉強も本格的になります。息子は最初から「音楽をたくさん勉強したい」と言っていたようで、在学中は先生のすすめでパイプオルガンとフルートをはじめました。
5年間頑張った成果として、フルートもオルガンもとても上達し、ラグビー校へは音楽奨学生として入学することができました。
イギリスボーディングスクール │エリート集団のラグビー校へ
ラグビー校へ入学してからは、息子はまた一から人種問題にまつわる差別を受けたようです。
プレップスクールは昔ながらのリッチな保護者が多かったのですが、ラグビー校の保護者はエリート意識の強いイギリス人家庭が多いのかな?と、私自身入学式のときに感じていました。
その予感は的中し、最初の数ヵ月はアジア人であることで差別的なことを言われたりすることもあったようです。音楽に優れていることで特別扱い=スカラシップ生だけが参加を許される食事会やイベントなどがあったので、妬まれたことも原因かもしれません。
それでも子どもたち同士で喧嘩や先生も交えての話し合いなどでわかり合え、1学期が終わるころには学校生活をとても楽しんでいました。
そんな息子が1年でラグビーを離れることを決意した理由には、
- 祖母(私が働いていたので息子の母代わり)の体調が悪くなる
- イギリスの入管で何回かビザを巡ってトラブル(イジワルをされた?)になった
- 飛行機の遅延により、トランジット先の夜中の空港(中東の某国)でひとりきりで過ごした
などのネガティブな要素が重なったことにあるようです。
イギリスボーディングスクール │目を見張る成長と未来の可能性を築いた6年間
せっかくのラグビー校を離れるなんて…と会社で泣いてしまい、同僚に慰められたりする日もありましたが、6年間ひとりで国際線片道13時間を通学した息子の成長には目を見張るものがありました。
11才のときにひとりでイギリスまで渡る際、乗り継ごうとしたオランダの空港で、息子が乗る予定の便に障がい者団体を優先的に乗せたいので席を譲って欲しい、と言われたことがありました。
学校に戻ってすぐに自分の指揮する学校オーケストラのコンサートがあったため、どうしても乗り逃すわけにいかなかった息子は「僕がいないとオーケストラが演奏できない。なんとか乗せてもらえないでしょうか」と航空会社の職員に交渉し、その便には乗れなかったのですが、すぐ後の提携航空会社のフライトを手配してもらったことがありました。11才でこの度胸がついたのだから、この6年間の経験は息子の宝だと確信しています。
15才となった現在、親の言うことを素直になんでも聞く系のいい子ではありませんが、彼が今後専門に学びたいと考えているIT関連の知識やネイティブが使う英語表現など、息子に教えられることが多く、一緒に生きていく仲間のような感覚です。
プレップとパブリックでは、在学中4年ほどラテン語を学んだので言語習得能力も高く、また音楽教育のお陰で集中力もついたので、好きなことを見つけたら一心不乱に取り組みます(苦手な科目は放置ですが…)。
8月からはUWC認定校への入学が確定しており、18才になったらプレップ仲間のなかで同じようにITに強い友人と同じ大学に入る→大学院で経済を学ぶ→最初は大企業と言われている会社で社会を学ぶ→友人とPCのハードウェア関連会社を起業する、というビジョンがあるようです。
夢が叶うといいなぁ…
文と写真:カオルコ
いわゆる典型的なお嬢様学校で12年間をまったく変わらない同級生と過ごし、「自分の人生って最高♪」と思っていた私ですが、海外育ちの夫と結婚したことから教育への考え方が180度変わってしまいました。そこに巻き込まれた(?)ひとり息子と私の珍道中はまだまだ継続中です[/author]